2020東京オリンピックではスケートボードが新たな競技として注目され、スケートボードの世界ランキング2位の堀米雄斗選手も出場。
さらに2024年のパリオリンピックにも出場が決まっています!
スケボーの堀米雄斗(ほりごめゆうと)の生い立ち!実家は金持ち?
今回の東京大会で新たな競技として登録されたのが、スケートボード。
「堀米悠斗」選手という北海道出身のサッカー選手もいますが、スケートボードの堀米選手は「雄斗」の方です!
スケボーの金メダル選手として名前が挙がっているのが、堀米雄斗選手ですが、実家はお金持ちなんでしょうか?
こういうアメリカっぽいデザート控えてたけどこれ食べ終わるまで解禁する pic.twitter.com/evHmrGlasu
— 堀米雄斗 (@yutohorigome) June 7, 2020
堀米選手の出身地は東京都江東区であり、実家も東京江東区になります。 堀米選手の実家はある程度お金持ちなのではないか?と考えられるのですが、それは今、堀米選手が生活している環境から想像することです。 実は、堀米選手は2015年に渡米して、現在はアメリカで生活をしています。 |
すでに2015年には頭角を現し、国内でトップ選手となっていた堀米選手なので、そんな生活も納得なのですが、やはり渡米するにはかなりお金が必要だったことに違いありません。
しかも、スケートボードの練習をしていると、シューズは50足以上を1日6時間の練習で1年間で履きつぶすとのこと…。
ということは…
- 1年間で50足
- 1か月で3-4足
- 1週間で1足
ということになります!
これってかなりの出費ですよね…。
そして、スケートボード自体も、練習によっては1週間でダメになってしまうこともあるのだそう…。
本気でスケボーをやろうとすると、かなりお金のかかるスポーツなのだといえそうです。 そんな状況を考えると堀米選手の実家はある程度お金持ちなのではないでしょうか。 |
ただ、今は堀米選手にはスポンサーもついており、新しいものをどんどん買えるけど、昔は壊れたシューズを瞬間接着剤やガムテープで直して使っていたそう。
このあたりは庶民の感覚でちょっとほっとします。
堀米雄斗(ほりごめゆうと)の父親の職業やスケボーを始めたきっかけ
現在アメリカで生活をする堀米選手ですが、スケボーを始めたきっかけは父親の影響でした。
スケボーを始めた頃
堀米選手は、小学1年生6歳の時にはすでに、スケートボードをやっていた父親の亮太さんに一緒について行って、ボードで遊んでいたそう。 そして、小学2年生の8歳でボードを乗りこなし華麗に技を決めていたという堀米雄斗選手は、天性のスケボーの才能があったのかもしれません。 |
久しぶりにボール滑った🛹 pic.twitter.com/8ElawJTKi3
— 堀米雄斗 (@yutohorigome) September 7, 2020
父親の亮太さんについて
<追記>
そんなスケボーのきっかけを与えてくれた父親の亮太さんは、雄斗さんの試合はリアルタイムでみないようにしているようで、
なんと、東京オリンピックの決勝もリアルタイムでみていなかったとのこと!!
これには理由があって、父親の亮太さんの方からすると「ドキドキしすぎて見れない」ということみたいです。
親からしたら、たしかにそうですよね…!!
そして、雄斗さん側からすると、これはジンクスにもなっているようで「お父さんが見ていない方が勝てる」とオリンピック後のインタビューでコメントしていましたw
父親の亮太さんの職業
そんな堀米選手をずっと支えてきた父親の亮太さんの職業はタクシー運転手。
雄斗さん含む3人の息子を育てるため、そして雄斗さんの遠征費もまかなうために、同僚の車を洗車する副業?でアルバイトもしていたのだそう。
元スケーターだった父親・亮太さんの支えがあったからこその現在の堀米選手です。
そして、そんなサポートを受け、小学生にして国内で上位ランクに入り、新しい技にどんどん挑戦していった堀米選手。
他の選手と異なるところは、ここ。
他の選手が既存の技に挑戦していく中で、新しい技を自分で考えてどんどんチャレンジしていたのだそう!
それは今でも変わらない堀米選手のスタンスです。
2019年のブラジルの大会では、 「ノーリーバックサイド180スイッチフロアワンサイドイーグル」 というオリジナルの大技を決めていました。 |
体を回転させながら、車輪の間に手すりを通して滑り降り、後ろ足を上げてボードのヘリを手すりにぶつけて着地する大技。
「人が大会で出さないようなトリック(技)を出す」というオリジナルの大技を出すプロの美学が堀米選手にはあるのです。
堀米雄斗(ほりごめゆうと)の渡米した理由
堀米選手が渡米したのは、2015年のことです。
2015年というと、堀米選手は16歳。
この時点での渡米というのは、かなりご両親も決心がいったのではないでしょうか?
でも実は、渡米することは、本人はかなり前から決めていたようです。
その背景には日本にスポンサーとなる会社がなかったからのよう。
小学校の卒業文集ですでに
「プロスケーターになりたい」
「アメリカに行きたい」
と書いていたんです!
その後、高校生の時に2年連続で年間グランドチャンピオンという偉業を達成して、高校卒業後、アメリカへ。
そして、現在はアメリカのロサンゼルスで本場アメリカのトップ選手と共同生活をしながら切磋琢磨しています。 今ではスケボーの本場ロサンゼルスの人たちからも、写真やサインを求められる堀米選手。 |
その存在はアメリカでも認められています。
コロナの影響で思うような練習ができない中、自粛中はルームメイトと映画を見たり、家の駐車場や路上で練習をしているそう。
1日6時間の練習の中では、ケガをすることも多く、足や腕などの骨折は日常茶飯事。 それでも、恐怖を感じずに練習を続けられる原動力は「スケートボードが好き」という一途な思いから。 |
この「スケートボードが大好き」という部分が、小学生から渡米を思い描き、それを現実のものにしている堀米選手の根幹なのだなと感じます。
練習も「練習だと思っていない」と語る堀米選手からは、とても楽しんで練習している気持ちが伝わってきます。
そして、東京オリンピックの1年延期については、「1年また練習の時間が増えた」と前向きな気持ちで、「新たにできる技を増やしていきたい」とも。 現在、東京オリンピックに向けてまだ自分の完成度は50パーセントとのことで、これから100パーセントに近づけていくそう。 「まだまだ進化できる」との言葉も! 「もし自分がオリンピックに出れるチャンスがあったら(まだインタビュー時点で内定が決まっていないため)、オリジナルの大技で金メダルをとりたい」 という力強い言葉にも、堀米選手の「スケートボードが大好き」な気持ちをみることができました。 |
堀米雄斗(スケボー)のwiki風プロフィールと経歴!現在の年齢や所属は?
今回の東京大会で新たな競技として登録されたのが、スケートボードですね。
そんなスケボーの金メダル選手として名前が挙がっているのが、堀米雄斗選手です。
スケボー通学 pic.twitter.com/LXtkm5iArC
— 堀米雄斗 (@yutohorigome) May 11, 2020
堀米選手のプロフィールはこちら!
名前:堀米雄斗 読み方:ほりごめゆうと 生年月日:1999年1月7日 年齢:25歳(2024年7月現在) 出身地:東京都江東区 所属:2024年4月18日~三井住友DSアセットマネジメント(2022年3月までXFLAG(ミクシィ社)) あだ名:sushi wasabi |
東京都出身の堀米選手は、東京オリンピックの時点で若干21歳でとても若かったのですが、すでに現在世界ランキング2位でした。
10代になるとすぐに頭角を現し、国内トップ選手として活躍。
2014年、2015年には日本スケートボード協会の「年間グランドチャンピオン」に2年連続で輝いています。 その後、2017年の「ストリート・リーグ」では準優勝。 2018年の同じく「ストリート・リーグ」で優勝。 「ストリート・リーグ」というのは、スケートボードの世界最高峰のプロツアーであり、2018年の優勝は日本人としては初です。 そして、2019年5月には、東京オリンピックのスケボー強化選手に選ばれました。 |
さらに、2019年のSLSでは準優勝、2021年の東京五輪の男子ストリートで金メダル、2022年にはX-GAMES ChibaやStreet League World Tour (Jacksonvill)、Street League World Tour (Seattle)で優勝しています。
2023年にはTampa Pro 2023、UPRISING TOKYO、X-GAMES California で優勝しました!
東京オリンピックパラリンピックの放送って、平日の昼間だとお仕事の方はその時間なかなか観ることができないし、子育てで手が離せないとしっかり観戦できませんよね…。
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まとめ
- スケートボードの東京オリンピック金メダル候補・堀米雄斗選手は、東京都江東区出身の1999年1月7日生まれで2024年7月現在25歳です
- 堀米選手がやっているスケートボードは、本気で練習をするとなると、シューズやボードの消耗が激しくお金のかかるスポーツで、ずっとそれを続けてきた堀米選手の実家はある程度お金持ちなのではないかと考えらます
- 堀米選手がスケボーを始めたきっかけは父親の影響でした
- 堀米雄斗選手がアメリカに渡った理由は、「スケートボードが大好き」という気持ちからで、すでに小学校の卒業文集には「アメリカに渡りたい」「プロスケーターになりたい」と書いてあったのだそう!